2010/05/10

75北総石仏 柏・旧沼南町の石仏(高柳Ⅲ)

高柳地区の残りの石仏を駆け足で巡ります。地番表示あるも通称名が不明で判りにくいものは、経緯度を試みに表示してみます。

75-1高柳新田の庚申塔(東経+35° 48' 35.86",北緯 +139° 59' 39.91")
前回の高柳区民会館(原堂墓地)前の道を西進し、市立図書館高柳分館や踏切を過ぎて400mほど進みます。右に理髪店バーバーシマハラがあるT字路角に5基の庚申塔が並んでいます。訪問時は丁度道路拡幅工事中で緑の覆カバーで隠れていて、道理で目に付かなかった訳です。紅い幟でやっと見つけました。狭い敷地に5基の庚申塔です。右から寛政四年(1793)顔部が削れている六臂合掌青面金剛塔・宝暦三年(1753)アーモンドヘッド型六臂剣人型青面金剛塔・文政七年(1824)六臂ショケラ持青面金剛塔・聖火ランナーのような天保五年(1834)六臂ショケラ持青面金剛塔・童子みたいな慶応二年(1866)六臂ショケラ持青面金剛塔となっています。どうした訳か右端と2番目の石塔は後の表示板が取り違えて立てられています。表示板を古い順に並べたようです。
工事の遮蔽幕で判り辛い
中はこんな感じです
宝暦三年アーモンドヘット型゙
天保五年塔聖火ランナー?
寛政四年塔三猿
文政七年塔三猿
75-2高柳新田の富士塚
先ほどの庚申塚の前の道を回り込めば富士塚に出ます。唯の土盛りのようですが、よく見ると石鳥居と石段、そして小山のうえにはなにやらありそうです。正面から見ると左の手摺のついた石段の先には石塔のようなものが見えます。右のほうには更に小さな鳥居と文政十二年(1829)石尊大権現石塔が祀られています。この写真よく見ると、右の鳥居と杉の木の間足許にミニチュア富士山(セメント製)が見えていて地元民の茶目っ気を感じますね。左の富士塚山上は下の写真のように文政十二年(1829)仙元大菩薩石塔が祀られていました。石尊塔とともに丸に不二の印が刻まれています。「鳩の三志」こと小谷庄兵衛が唱道した不二道孝心講の建立でしょう。ガイドブック「沼南の歴史をあるく」によると嘉永元年から明治1年頃までの約40年間で孝心講は野田・流山・柏・我孫子・印西の547ケ村、延べ四千六百人を動員して総長1486間の道路普請をしたと記載されています。

75-3高柳高校入り口交差点の庚申塔
県道8号船橋取手線の高柳高校入り口交差点の角に3基の石仏です。県道よりの右から享保十四年(1729)六臂合掌青面金剛塔・年不明十九夜如意輪観音塔・年不詳如意輪観音塔(十九夜塔?)の3基です。ストリートビューでもちらと見えますよ。真中の十九夜塔は光背が欠けて惜しいですが端正な像塔です。

75-4新堀霊園の石仏・板碑
県道8号と県道280号が合流する高柳大久保台の交差点近くに新堀霊園があります。交差点の近く沼南高柳郵便局の脇の道を進むと霊園裏の駐車場へ出ます。霊園正門への道順は、高柳高校入り口の信号交差点で富士見工芸の分岐で1本北よりの細道を進むと新堀霊園の正門です。正門横の植え込みに寛延二年(1749)延命地蔵尊が祀られています。
この区域には平成6年建立の合掌地蔵尊が無縁仏を祀っています。
その傍らに享和三年(1803)・寛政十二年(1800)など馬頭観世音坐像など7基が祭られています。沼南町史にある元禄期の十九夜如意輪観音塔3基は見つけることが出来ませんでした。代わりに、裏駐車場近くの墓所脇で20基ばかりの板碑残欠が整然と並べられていました。残念ながら状態が良くなくて碑面は読み取れません。

75-5焚き火会傍の庚申塔(東経+35° 48' 24.87", 北緯+140° 0' 17.31")
高柳駅入り口を過ぎた次の信号(スーパー?サンキ角)で東方向へ向い道成りに進み金山落としへ下る道筋に「焚き火会」の看板を掲げたガレージと広場があります。
その広場の崖縁に2基の青面金剛塔があります。宝暦十一年(1761)アーモンドヘッドの青面金剛塔です。もう1基は昭和63年高柳老人クラブで、現代的な青面金剛塔を建設しています。

75-6高柳御嶽神社の石祠
崖の切通状の脇に祀られた不思議な場所にある神社です。元は越後退(えちごじり)と呼ばれる清水が湧き出す場所にあったそうですが、ガイドブックによると戦時中の軍の要請で現在地に移転してきたようです。
(すぐ近くの現在の海上自衛 隊下総航空基地に関係?)
薄暗く狭い境内に石祠が整然と並んでいる理由が少し判ったような気がします。拝殿脇の鳥居の奥に7基の慰霊祠です。左から明治19年「少姫霊神」祠・大正6年「弘徳霊?」祠・明治25年・19年・36年・19年・28年の無銘祠です。大型で整然と並んでいるいて信仰内容が今ひとつはっきり分らないだけに神社信仰の奥深さが垣間見えて不思議な雰囲気です。明治20年・不動明王石像の足許で清水を吐いていただろうと思われる竜頭が境内に睨みを利かせていました。これにて高柳地区を終えましょう。

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