2012/07/30

140 柏の石仏(最終回) 十余二・正連寺・若柴

前回の139-4で 大青田598前の馬頭観音を見ましたが、そのまま南下すると流経柏高校前の三叉路交差点に出ます。信号手前に伊勢原皇大神社があります。
十余二(とよふた)地区の開発内容は 小金牧の記事中、目次7番高田台牧の箇所をご覧ください。
140-1 十余二の伊勢原皇大神社
字は伊勢原で現在の区分では十余二(とよふた)地区のはずれでにあります。元来は明治開墾の12番目である十余二地区に開設された神社です。
参道左手に稲荷社の朱鳥居がみえます
 明治15年に三井組を中心に伊勢国山田郡天照皇大神宮より勧請し氏子120戸で開創されています。境内社に雷神社・山神社・稲荷神社を合祀しています。そういう謂れを載せた流通経済大学付属高校の校内機関紙が貼ってありました。
ちょっと読み辛いですが拡大してご覧ください
参道左側に木祠に収められた安政五年山神社と、雨覆の付いた元禄七年(1694)庚申供養石塔が祀られています。
左に山神社、右に庚申塔
結構初期の元禄塔なので載せておきます
すっきり整地された境内には寛政十年(1798)再祭の雷神宮石祠や、明治22年小金原開墾碑などが点在しています。よく手入れはされていますが、参拝の気配があまり伝わってこないのは私の邪推かも知れませんがちょっと寂しい感じです。
140-2 正連寺の香取神社
十余二工業団地の南に隣接するのが正連寺地区です。国道16号線で東西に分断されています。寛永二年(1625)本田正貫領知目録写に正連寺村十七石余の記載ある小さな村だったようです。 地区の北西部に手賀沼に注ぎ込む大堀川の源流のひとつこんぶくろ池があって、昔は小金牧の馬の水飲み場にもなった荒れた湿地 が多いところでした。香取神社の周辺もそんな雰囲気が残っているところです。
平成22年再建の鳥居のすぐ右手に畑地が広がっています
鳥居を入ってすぐの右手に力石を集めて解説碑が立っています。
更にすすむと文久四年の山神宮石祠が祀られています。こういう開けた平地ですが、杣取(そまとり)=山林から材木を切り出すきこり)の刻字が往時の寂れた雰囲気を醸し出します。
台石に杣取講中と刻んでいます
更にすすむと小さなお堂の中に、弘化三年(1846)の第六天王石祠が鎮座しています。この神様も筆者には良く分かりませんが、広く祀られている神様です。像塔は未見ですが日本石仏図典245頁に、鎌倉・小動神社の第六天が小さなビリケンさん姿で剣を持っての立ち姿で載っています。その先に6体の庚申塔・馬頭観音が祀られています。
左から天保十三年(1842)馬頭観音、延享四年(1747)六臂ショケラ持青面金剛、享保二二(=四の異体字)年六臂合掌青面金剛、正徳五年(1715)六臂羂索持青面金剛、明和六年(1769)・文政十一年(1828)文字庚申塔となっています。左端の馬頭観音はその像容からは馬頭観音とは分かりません。ちょっと違和感のある石塔です。
一番大きな正徳五年塔です
 更にすすめば、本殿周りに天保八年(1837)待道大権現石祠、天保四年(1833)甲子塔、明治33年別雷神社石祠、明治の合祀碑や昭和の改築碑が点在しています。

甲子塔ですが、逆光の為補正。正連寺390前から移設されたようです

140-3 正連寺398前の馬頭観音
 香取神社を南下し国道16号へ出る手目の三叉路の斜面に文字馬頭観音がポツンと立っています。
斜面上は国道16号線です
 ありふれた弘化三年(1846)馬印付き文字馬頭観音塔ですが、なんだかとても相応しい処に祀られているように思えて「こういう生き残りかたもいいなあ」と思ってしまいます。
140-4  正連寺の虚空蔵堂
明治期に廃寺になった真言宗正蔵院の跡地にあります。整備された墓地となっています。
地内に安永六年(1777)六地蔵が祀られています。他には新しい笠塔婆が目に付くくらいでした。
140-5 若柴観音堂
正連寺の南に若柴地区があります。地区西部はつくばエクスプレス線が縦断し柏の葉キャンパス駅が開業、ララポート柏の葉などの商業施設がオープンしています。近年最も開発が激しい地区となっています。地区東部を国道16号線が縦断していますが、若柴交差点角地が若柴観音堂となっています。
敷地内の六所神社そばに庚申塔・馬頭観音・道祖神など石仏が集められています。
上の写真では手前2列10基の庚申塔・地蔵塔・如意輪塔が祀られています。前列左から、享保十三年(1728)・享保七年(1722)六臂合掌青面金剛塔・寛文十二年(1672)大日如来庚申塔・中央は文化九年(1812)種子ウーン文字庚申塔です。
享保七年塔ですが表情が素朴でいい
寛文拾二年塔智拳印金剛界大日如来で下部に三猿
前列中央から右は元禄八年(1695)延命地蔵塔、元禄十四年(1701)・延宝三年(1675)如意輪観音塔となっています。
元禄塔は十月十九日付から、柏市史では十九夜塔に分類

延宝三年塔は十月吉日造塔で如意輪観音塔の分類
 後列は慶応三年(1867)成田山月参塔が左端に立っています。隣の文政三年(1820)念仏塔は頭部坐像が馬頭観音のように見えますが、柏市史金石資料には記載がありません。
角柱型のしっかりした石塔で念仏講中の刻字
後列の右側2基は、寛政十二年(1800)種子ウーン庚申塔、宝暦五年(1755)六臂合掌青面金剛塔となっています。
 庚申塔群の背後には、天保三年・嘉永元年の道祖神や天保三年・明治16年の山神宮石祠などが並べられています。おまけに若柴夜曲なる歌碑も「わかしば恋しい春の夜に・・・若柴観音がんかけて・・・柏の若柴パラダイス」と唄っていますが、同じ場所でいいのかウーンどうなんでしょうか?
この脇に立派な歌(謡曲)碑がありますが
同じ境内ですが先程の庚申塔群と少しはなれて、若柴観音堂がありその参道脇に3基の馬頭観音が祀られています。
若柴観音堂
左から文化八年・明治3年・明治6年の馬頭観音塔
これらの馬頭観音が祀られる由来や、往時の賑わいは次の解説板をご覧ください。

以上でひとまず柏の石仏めぐりを終えることにいたします。
一区切り付けてほっとしたところです。次のテーマはまだ絞れないのですが、関心があちこちに飛んでおり勉強不足が痛感されます。何とか月2回の更新でやっていければと思っています。拙いブログにお付き合いいただいている皆さんは、感謝!感謝!

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2012/07/12

139 北総石仏 柏の石仏 大青田

柏の最北部まですすんだので、ここから反転して南下します。船戸山高野に隣り合うのが大青田地区です。中央部を北西から南東にかけて国道16号線が横切っています。村を二分してしまったようです。江戸時代の村名=大青田村(おうだむら)と千葉県地名資料にふりがながうってありました。
139-1 妙見神社
柏市の北限に利根運河が流れています。国道16号線が利根運河を渡る200m手前に妙見神社が目立たないでひっそりと佇んでいます。通常の神社のごとく参道らしきものが見出せないのは、国道16号線が境内を横切り区画整理されたからでしょうか?資料によると明治9年妙見神社を仮校舎にして大青田小学校が開設されたとか。次に訪れる円福寺に筆子碑もあるそうです。
平成11年鳥居の両脇に、左4基右3基の庚申塔
 祭神は天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)。Wikipediaにも書かれていますが、古事記・日本書紀にも登場する最初に出現した神様らしいです。仏教の妙見信仰と習合し妙見神社は千葉県で盛行したとの記述が見られます。
左から延享五年・寛政十年・天保四年・安永二年の造立
 鳥居傍の大木の陰にも3基の石仏です。
左から宝暦三年・天保九年・嘉永七年
 それほど目新しいものはありませんが、台石の三猿に変形ポーズがあって楽しめます。
剥離した庚申塔の台石三猿ですが仕草が可愛いですね
 139-2 円福寺の石仏
妙見神社の南に真言宗円福寺があります。天正元年(1573)創立のようですがそれ以前の可能性ありと柏市史に載っています。
本堂が歴史ある小学校の校舎のように見えます
門前が舗装された広い駐車場になっていますが、道路に面した壁際に6基の石仏が並んでいます。
碑面が荒れていて判別するのも大変です
左端はどこかの講中が建立した供養塔で右端は地蔵塔ですが、紀年不明。
左から2基目が延宝二年(1674)十九夜如意輪塔、弘化四年(1847)頭部如意輪浮き彫り十九夜塔、明和八年(1771)文字馬頭観音、宝永五年(1708)六臂合掌青面金剛塔となります。
青面金剛ですが、見るだけでも痛々しく感じます
山門を入った右手に寛政十年(1798)岩見大権現・天保十二年(1841)雷神の石祠が置かれています。イチョウの大木の下はゲートボール場・ベンチが置かれ村人の憩いの場となっているようです。
門前から村道にでて南下します。途中、お堂の中に文政七年道祖神(道六神)が祀られているようです。足腰の病気にご利益を祈願してわらじが奉納されていました。
コンクリの土台がやけに高いお堂です
139-3 大青田交差点近傍の常夜燈と大黒天
国道16号線の大青田交差点西南角にセブンイレブンがあります。その向かいのお宅の角に立派な常夜燈が置かれています。
明治13年設置常夜燈
柏市史の第五編第一章612P図4主要道路と渡し場・明治30年代には、略図ですが船戸の渡しから大青田を通る主要道路が記載されています。常夜燈明かりに照らされながら通り色々な物資が江戸川を渡っていった様子が思い浮かびます。この常夜燈はそんな歴史をではないでしょうか?
この常夜燈の写真右後側に下の写真のような石仏が置かれています。
左は力石で「四拾二メ」と彫られています。右の大黒天は紀年不明ですが、力石を兼ねており「十五メ」(約56kg)との記載があります。道理で丸く小ぶりに作られている訳ですが、私には持てませんねえ。
139-4 大青田598前の馬頭観音
常夜燈から200m南下します。県道の東側道路沿いに、様々に供物に囲まれた馬頭観音が2基祀られています。犬の置物・馬型園芸ポットや缶ジュース・缶ビール、フラフープまであるのはどういうことでしょう。こちらは文政二年(1819)と昭和21年の馬頭観音です。信仰が厚いというかパワースポットじみているのか良く分かりません。
右にあるのは馬型園芸ポットと後ろは懐かしのフラフープ

139-5 香取神社
反転して北上します。国道16号線大青田交差点の西方200mに香取神社があります。敷地内に大青田ふれあいセンター が同居しています。
石鳥居の両柱の陰に庚申塔

平成12年製の石鳥居をくぐると参道の左右に4基ずつ庚申塔が並んでいます。
参道右側の庚申塔

参道右手の庚申塔は左手前から寛保三年(1743)ショケラ持青面金剛塔・寛政十一年(1799)・文化九年(1812)・嘉永元年文字青面金剛塔となっています。
参道左側の庚申塔。右端享保塔は道標も兼ね、側面に「右正連寺柏、左花野井アビコ」
 左から文化三年(1806)・寛政四年(1792)・天明六年(1786)文字青面金剛塔、享保十二年(1727)ショケラ持青面金剛塔の4基です。
境内には文政二年の文字青面金剛塔・安永三年香取大明神石祠・明和三年大杉大明神・安政二年待道大権現石祠などが点在しています。

明治40年の 天神社・大杉社・稲荷社・疱瘡社が合祀の履歴を物語っています。
忘れるところでしたが、参道両脇の庚申塔の後ろには板碑が埋め込まれているのでちょっと覗いておきましょう。
庚申塔の台座後ろに挿して並べています
この種子は梵字手帖・梵字必携にも見当たりません




より大きな地図で 139 北総石仏 柏