2013/11/14

158 房総の石仏二百選 八千代市編

八千代市は千葉県北西部に位置する人口20万人弱のベッドタウンです。探訪する石仏は市域北部の農村地帯に点在しています。
158-1 島田集荷場脇・子安釈迦如来(房総の石仏No.2)
平成20年の石鳥居に刻まれた子安大明神の朱文字が目を引きます。その奥のお堂に石仏が祀られています。
平成20年の石鳥居奉納時に整備されたようです
堂内には3体の石仏が祀られています。
左から子安釈迦如来・子安大明神・子安釋迦如来
写真左が、百仏で選定された寛政十三年の子安釈迦如来です。右手で赤子を抱き左手は合掌手で拝んでいます。中央は寛政九年(1797)の子安大明神です。右は元文二年(1737)「妙法子安釈迦佛」と刻まれていて、トリオで祀られていました。ガイドブックの解説にあるように、「子安観音信仰は盛んですが、子安釈迦塔は貴重」です。
158-2 吉橋吉祥院・大師堂の勢至菩薩(房総の石仏No.38)
吉橋大師講は下総四郡に展開された四国霊場写八十八か所をめぐる霊場巡りです。 その第一番が尾崎公民館の前にある吉祥院です。寺名がついていますが、今は大師堂と14基余の石造物が集積する塚上の遺構となっています。
石段左方に庚申塔や廿三夜勢至菩薩塔が下写真で整列しています
左3基が庚申塔、廿三夜塔、本件の勢至菩薩塔、出羽三山供養塔の6基
No.38寛文八年「右勢至菩薩弐十三夜待開眼成就所」
阿弥陀の右脇侍として「観音が慈悲をもって衆生を済度するのに対し、勢至菩薩は智慧をもってする・・」と岩波仏教辞典に書かれています。
お堂の右脇(上の写真の石仏後方)には享和・天保の十九夜塔が並んでいます。お堂右脇にも寛文八年の※日記念仏塔などがあって、石仏探究者にも楽しめるスポットでした。(※後述158-4)
日本石仏図典の日記念仏の項で言及されています

158-3  小池・妙光寺の月天子(続房総の石仏No.76)
ガイドブックによると「・・日蓮宗地区の廿三夜待では主尊は月天子・王で表し・・・バラモン教から仏教に取り入れられた神で・・・」と記載があります。Wikipediaでも寿命が五百歳と書かれていますが、像塔あるならば気になるところです。(日本石仏図典にはガッテンシで本塔収載)
石塔整備で正面写真が撮り辛くなりました
 寶永五年(1708)「皈(帰)命大月天子」と刻された笠付石塔です。
158-4 萱田・長福寺の二十三夜・日記念仏塔(続房総の石仏No.42)
通称「赤寺」のいわれがよくわかる山門です。
参道を直進した本堂左脇の石塔列中にお目当ての石塔
ガイドブックに「日記念仏はオニッキとも呼ばれ一月から十二月の月々の当たり日に行なう念仏で・・・利根川流域の茨城県・千葉県に・・寛永・寛文年間あたりが早い作例で・・・」と記載があります。
寛文九年の勢至菩薩坐像が入った三層塔
右側面にサク廿三夜講開眼等の刻字
左側面に日記念仏供養開眼等の刻字
以上が八千代市編でした。


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2013/10/12

157 房総の石仏二百選 印西市編

タイトルは印西市ですが、前回の我孫子市の積み残しから記載します。
157-1 岡発戸(おかぼっと)白泉寺の待道尊(続房総の石仏百選No.56)
千葉県銚子市と我孫子市を結び利根川沿いを国道356号線が走っています。JR成田線も国道に絡むように走っていますが、湖北駅と東我孫子駅の中間あたり、国道356号線の北に八幡神社・待道神社があります。
国道356号沿いから移されて、八幡神社で間借り風のミニ神社
ガイドブックの解説にあるように待道権現・待道神社は北総限定の女性講中で信仰された神様です。「日本最初女人守護・別当白泉寺」の講中掛け軸からこの待道神社が信仰発祥・待道塔初出であろうとのこと。
安永四年(1775)の玉垣で石鳥居は天保十一年((1840)
玉垣台石には近隣の村々の記名があります
玉垣台石には久寺家(くじけ)村・都部(いちぶ)村・中峠(なかびょう)村・高野山村など近隣の村々の名が刻まれ広く信仰されたことがうかがえます。柏市・我孫子市・印西市域にまたがる村々ですね。

157-2 印西市大森・長楽寺の花見地蔵(続房総の石仏No.77)
天台座主慈覚大師によって承和年間(9世紀前半)に創建されたと伝わる由緒あるお寺です。とはいえ、お寺も参道も非常にわかりにくい場所にあります。さらにはこの花見地蔵を発見するのに5度通いましたが・・・。
最後は、ガイドブック執筆のKさんに教えていただき無事の拝観を済ませることができました。
長楽寺へ向かう青トタン板塀が目印、突き当りを曲がった所の左手斜面

宝暦十二年三月三日造立。所在地はGoogleMapのポイント表示場所斜面
この地蔵も印旛郡内限定で三月(三日)造立を特徴とするお地蔵さんです。いまだに行事など解き明かされていない部分もあって房総石造文化財研究会でも話題の石仏です。
長楽寺はほかにも県指定文化財の梵鐘や、筆者好みの青面金剛などがあって何かと楽しいお寺です。
大好きな二童子四夜叉・三猿付ショケラ持の三面青面金剛
 2008年11月15日No.6-1長楽寺の庚申塔をご覧ください。
157-3 鹿黒・八幡神社の天神塔(続房総の石仏No.68)
こちらも村はずれにある八幡様の森で樹の下にひっそりと佇んでおられる天神像付の石祠です。
正徳三年(1713)造立
しめ縄で見辛いですが、装束の襞まで彫り込まれた優品です。前出の長楽寺にも天神塔がありますがご参考までに掲載しておきましょう。
長楽寺観音堂脇の年不詳天神塔、彫が浅く平板なイメージが残ります
 既出2008年11月15日付6-5鹿黒八幡宮の石祠をご覧ください。隣接した二尾キツネの石祠が見れますよ。
157-4 竹袋・稲荷神社の蚕影山(こかげさん)神塔(続房総の石仏No.66)
養蚕の盛んな上州・信州などで信仰を集めた蚕神を祀った石塔です。
明治43年造立、この地でも養蚕業が盛んだったのでしょう
キツネが金網に入れられているのが可笑しい
日本石仏事典第二版で蚕神供養塔として詳述されています。「蚕神は一般にオシラ様と呼ばれ、寺社民家に祀られた。東北地方では馬と娘の婚姻伝承で養蚕の発祥を伝えています。一方、常陸国蚕影山地域では、天竺国の姫が常陸海岸に漂着したがその遺骸から蚕が発生した」と伝えています。
157-5 別所・地蔵寺の胎蔵界大日如来(房総の石仏No.9)
ガイドブックによると「湯殿山修験が霞場拡張の過程で・・時念仏を融合し・・・湯殿山本地の大日如来が・・建立された」系列の胎蔵界大日如来が地蔵寺の住職墓地一角に祀られています。
真言密教では「胎蔵を客体すなわち理とするに対し、金剛界を主体すなわち智として、真理は主客一体不二であると説き・・・胎蔵界曼荼羅では定印の大日如来を取り囲み12のセッションに分かれる・・・」(岩波仏教辞典)
はい、真言宗ではお仏壇の人気主尊でこのお姿でよく祀られています。
寛文九年(1669)御時念仏衆による建立
現在のお姿は密集整列状態で正面からの撮影はできません。
詳しい記事はは2008年12月27日北総石仏 印西木下ⅢNo.14-2をご覧ください。隣接の熊野神社の瞽女(ごぜ)の奉納手水石など面白い石仏鑑賞ができるので見学おすすめです。
157-6  小林・光明寺の如意輪観音(房総の石仏No.22)
江戸初期から利根川流域の女人信仰は十九夜講が盛行しました。「如意輪観音はこれらの女人信仰と結びつき盛んに造立されました・・」とガイドブックに解説されています。
寛文九年(1669)

百仏に選定されただけあって、本像は六臂思惟形半跏像で左手が透かし彫りの優品です。
こちらも既出で2008年11月No.4-1光明寺墓地をご覧ください。
157-7 造谷路傍の天道念仏塔(続房総の石仏No.26)
印西市造谷の県道64号線沿いに真珠院があります。その東方に宗像神社が隣接していますが、県道64号線から神社に向かう分かれ道の三叉路竹藪の敷地に庚申塔など17基ほど並んでいます。
道標付庚申塔や時念仏塔、右端が小さな天道念仏塔
 日本石仏事典・図典などによると「天道念仏・・・太陽信仰と念仏が習合し・・・茨城千葉神奈川で分布・・・出羽三山信仰ともつながり・・・」とガイドに記載があります。県内でも貴重な石塔のようです。
寛政十一年天道大日如来塔
 この左隣に、出羽三山信仰の大日如来塔が2基並んでいます。
左が享保四年胎蔵界大日塔、右は宝永五年金剛界大日塔
 両方の石仏とも時念仏講で造立されています。天道念仏が出羽三山信仰と関係ある資料となるのでしょうかね?
他に二十三夜塔が3基、道標付庚申塔、扇持冠者風三猿などが楽しめるスポットでした。



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2013/09/30

156 房総の石仏200選 鎌ヶ谷・白井編

鎌ヶ谷市は千葉県北西部にある人口10万人強の町です。県下有数の梨の産地ですが、近年は北総鉄道と東武野田線・新京成線が交差する利便性のよい住宅地として発展しています。江戸時代は小金牧に含まれ、蒲(かば)茅(かや)の自生地として蒲茅(かばかや)から地名に転じたという説もあるようです。隣接の白井市と並び農村風景がのどかにひろがっています。
156-1 鎌ヶ谷市粟野八幡神社の歯吹如来(房総の石仏No.7)
東武野田線の粟野の踏切近くに八幡神社があります。
その石鳥居の手前の広場に庚申塔群が2列に整列しています。様々な青面金剛や文字塔が並んでいます。
年代や像容も様々な庚申塔群
その中に歯吹如来が祀られています。正面右に上総国千田村の刻字があり、称念寺から勧請した仏様です。下に称念寺の所在を表示、google mapdeでお寺の写真でもご覧ください。

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航行の船上に立つ来迎像で、口から無数光で十万世界を照らすとか
「把富貴」に通じもともと縁起のよい仏様ですが、「称念寺の歯吹如来は海中から出現した由来のあるご利益あらたかなる仏様」だとガイドブックに記載があります。日本石仏図典にも、記載のある如来様です。
156-2 白井市富塚・鳥見神社の歓喜天(房総の石仏No.56)
神社参道左側に庚申塔が整列してます
参道の庚申塔の並びの先に、歓喜天は立派な雨除けの囲いに護られています。
秘仏にしてもよいくらいの石仏を、惜し気もなく見られます
 非常に珍しい石仏です。象頭人身、双体では女神が男神の足を踏むとか、大自在天の子・韋駄天の兄弟とか・・・石仏図典にも記載があります。

頭部に大聖歓喜
2009年2月13日No24-2で鳥見神社を紹介済みです。庚申塔群とお社の壁面の豪華彫刻もおたのしみください。



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2013/09/20

155 房総の石仏200選 流山・松戸編

流山は野田に隣接し舟運もあって昔からみりん醸造で有名とか、近藤勇の新撰組が幕末に終焉を迎えた本拠地とかで歴史に名が残った土地柄です。房総の石仏No.100台は続房総の石仏No.下2桁に読み替えてください。
155-1 長崎路傍の三十番神(房総の石仏No.171=続房総の石仏No.71)
中央の大きな甲子塔の左、右から4基目が三十番神塔

三十番神は日蓮宗系の本地垂迹説(神仏習合)守護神とガイドブックに解説があります。日蓮宗僧侶日像が京都布教をにらんで編み出した方便というのがリアルです。
天保六年
右上に熱田大明神・諏訪大明神と続きます
155-2 光明院の大日如来(房総の石仏No.11)
金剛界大日如来は石仏鑑賞に欠かせない主役です。特に出羽三山湯殿山信仰が房総に流布し始めた江戸初期から、大日如来は登場回数は増えてきます。この像が珍しいのは「奉造立庚申供養并念仏供養・・」と刻字あり、庚申供養と念仏講中の合作で祀られています。
寛文六年(1666)覆い屋がつきました
光明寺墓地の南方片隅で六地蔵残欠などに交じり佇立されています。
155-3 赤城神社の浪切不動(房総の石仏No.45)
前記の大日如来像の場所から墓地を出るとすぐ、赤城神社の斜面に階段があります。 その階段脇に庚申塔などが並んでいます。背の高い石塔が「波切不動」様です。
文化十五年(1818)船中繁盛とあります
流山河岸の水運関係者に信仰厚いのが御不動様です。「空海が帰朝に際し不動明王を念じ、明王はその剣先をもって波を切り裂き無事帰着することができたことに由来し波切不動信仰が広まった」とガイドブックに解説があります。
赤城神社は大しめ縄神事で有名な所のようです。
奥に赤城神社の参道が続きます

155-4 松戸・鵜森神社の二手庚申塔((房総の石仏No.62)
同一作者の手になるローカルな合掌型二手青面金剛塔です。庚申懇話会「石仏研究ハンドブック」の中で石川氏が石仏研究事例「二手青面の系譜」として言及されている石仏ですね。
元禄十六年(1703)憤怒相でなく頭巾・杣着・二手が特徴
 同種の石仏は計15基とのガイドブック記載ですが、その半数は見ているようです。(データ未整理のため)
正徳四年(1714)塚崎・無量院の二手青面金剛
同じ作者というのがよくわかりますが、後の青面金剛は把手型と分類されていました。でも、やはり二手・頭巾・杣着ですね。
155-5 松戸・紙敷 広龍寺の帝釈天
武蔵野線と北総鉄道が交わる東松戸駅の西方200mのところに広龍寺があります。参道右に8基、庚申塔などが並んでいます。
中ほどにポールガイドのついた帝釈天の庚申塔が祀られています。
嘉永五年(1852)幕末の混沌とした時代に建立されています
「病即消滅 不老不死」と刻まれ帝釈天の立つ段下には二童子、台石に三猿を刻む豪華な日蓮宗系の庚申塔です。特に、帝釈天像を刻む石佛は貴重です。



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2013/09/15

154 房総の石仏200選 柏・我孫子編

200石仏を巡っていてすぐに収載できない場合もあります。元の場所から移設(破砕?)されて見つからないものや、収蔵場所に保管管理された場合(Ex.本堂内で管理、祭事以外祠内で施錠管理など)です。それらは、200石仏の終盤で一括記載いたしましょう。
154-1 柏松ヶ崎・香取神社の弁財天(房総の石仏百選No.54)
国道16号線と国道6号線水戸街道の交差点は、呼塚(よばつか)でいつも渋滞気味です。名馬生食(いけずき)に因んだ地名は、呼塚河岸・呼塚新田の地名で現代まで遺されました。交差点北方約1kmの高台に香取神社があります。この境内に延宝五年(1677)と元禄十六年(1703)の弁財天がおられます。
ガイドに千葉県最古の延宝四年弁財天
 このブログではNo.124-1(2011.11.13)で紹介済み。境内の他の石仏も併せてご覧ください。
154-2 高柳路傍の徳本名号塔(続房総の石仏百選No.33)
覆い屋に4基の石塔、右から2基目が文化十五年徳本塔
こちらは、2010.4.23付No.73-1 徳本念仏塔と馬頭観音
で記載済みなので詳しくはそちらをご覧ください。
背面から見ると陰刻で逆さ文字

正面、丸に十の花押が見えます
裏面印刻は、石刷りの拓本として持ち帰り掛け軸利用のためと思われます。(民衆は簡易に墨塗り出来るように仕立てたのでしょう)
154-3 高柳公民館の廻国塔(房総の石仏百選No.97 廻国行者)
六部が笈摺か仏塔を収めた厨子を担いで遊行する石塔です。全国的にも貴重な像塔でしょう。20104.30付No.74-4 高柳区民会館の六部塔で紹介しました。

日本石仏図典にも収載されていて見学、おススメです。
 154-4 我孫子・東源寺の白山権現(房総の石仏百選No.74)
我孫子市も既出です。2011.3.31付No.103-3 東源寺の石仏 の終段に載せています。日本石仏図典にも収載されています。
文政六年「白山妙理大薩埵」の刻字
 東源寺さんにはほかにもたくさんの石仏が祀られています。
154-5 我孫子・八幡神社の子安地蔵(房総の石仏百選No.37)
2011.3.24 No.102-2 八幡神社で子安地蔵を掲載しています。
高台にある薄暗い参道に他にもたくさんの石仏が並んでいます。
明和八年(1771)
「子安信仰で子安観音(注・如意輪観音など)は多いのですが、地蔵の造立は少ない」とガイドに記載があります。現代では銅製地蔵を子安地蔵に仕立てたお寺が氾濫していて、時代の移り変わりがうかがえます。
154-6 青山無量院の虚空蔵菩薩(房総の石仏百選No.28)
八幡神社に隣り合って無量院があります。以前はよく吠える飼い犬が歓迎?してくれたのですが、今回は引退したのでしょうか静かな境内でした。
本堂左手奥に歴代住職の墓所があります。寺務所に声を掛けて拝観させていただきました。墓所の片隅に虚空蔵菩薩が祀られています。
宝永二年(1705)
 たしか空海が求聞持法(ぐもんじほう・虚空蔵菩薩を念じて記憶力を得る法)を習得し、のちに真言密教を開宗に至った経緯を読んだ覚えがあります。真言宗では重要な菩薩ですが、石製像塔で拝観できるのは貴重です。
ガイドブック(房総の石仏)では、故榎本先輩の印旛郡栄町布鎌地区の女人虚空蔵講と13基の虚空蔵石塔の存在に言及ありますが、特異な存在と思います。
無量院は 2011年3月24日付青山無量院の日記念仏塔で記載しています。大木に取り込まれた元禄の如意輪観音様など見応えのある石仏が多いお寺です。

左は元禄十年金剛界大日如来、右は元禄六年如意輪観音

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