2015/12/29

167E  シルクロード紀行後半(敦煌から西安)

s-シルクロード旅行2015-06-21敦煌市内004
党河の橋から観る敦煌の街
柳園駅から約3時間かかって敦煌へ向かいます。敦煌石窟見学と西安の兵馬俑博物館が今回の観光目玉です。下の写真は車窓から見る敦煌の街並です。
167E-1 敦煌博物館 いわゆる敦煌学の中心になるのでしょうか、第一部で敦煌莫高窟関係の展示、第二部で唐代までの出土遺物を展示、第三部でシルクロード関連の織物等を展示しています。主要展示の解説に日本語表示があるので理解しやすいです。

s-2015-06-21敦煌博物館追加081
莫高窟第45窟の彩色塑像
有名な盛唐期の第45窟レプリカ展示です。主室と前室にわかれ前室天井には千仏、南北壁には仏教譚が描かれています。主室は結跏趺坐の釈迦牟尼仏、左に阿難右に迦葉を配しています。また隣にS字の立ち姿の観音菩薩・大勢至菩薩を従えています。二人の天王も従い邪鬼を踏んでいます。日本であれば、弥陀三尊が観音・勢至を従えますがチョット異なります。
167E-2 白馬塔(敦煌旧城から南方2km)
384年鳩摩羅什が長安を出発した時の乗馬「白馬・天騮」が、夢の中に現れこの地で「別れの挨拶」をした。夢から覚めるとそのとおり天騮は死んでいた。鳩摩羅什は嘆き悲しみここに白馬塔を建てた。白馬が9歳だったので主体は9層、蓮の花を踏んで極楽浄土へ旅立てるように、蓮花状八角形の基壇の上に建っています。
s-シルクロード旅行2015-06-21敦煌白馬塔007
白馬塔
167E-3 鳴沙山と月牙泉 敦煌の南約5km、莫高窟から東西へ40km・南北20kmに広がる砂丘(砂山)が鳴砂山です。後漢の220年頃の書物に「河西に沙角山あり・・・・色は黄色・・人が山に登ると・・太鼓と角笛の音が聞こえ・・人の足を振動させる」と記載され後に鳴砂山と名付けられました。6月は砂土が60℃以上になる酷暑です。砂山には火傷しないよう赤いスパッツを借りて登ります。
s-シルクロード旅行2015-06-21鳴砂山と月牙泉009
鳴沙山のふもとにある月牙泉
六朝から唐宋まで敦煌の2大宗教は仏教と道教でした。莫高窟は仏教の聖地であって、道教はこの鳴砂山ふもとの月牙泉を拠点としました。現在は東西210m南北54mの広さで砂にも埋もれず残っています。泉の傍の4層の建物は寺院でなくて資料館となっています。
167E-4 莫高窟
敦煌の東南25kmの三危山と鳴砂山の間、大泉河の西側断崖上に莫高窟があります。2014年夏から観覧方法が変わり、完全予約1日6000人限定で、3Dシアターのある莫高窟観覧センターで3Dシアターを見てからバスに乗って莫高窟に向かいます。下の案内図で左側が莫高窟南区で一般公開している場所です。右側は莫高窟北区となって一般公開しておらず、下の2番目の写真のとおり回廊がないので洞窟がむき出しです。
s-シルクロード旅行2015-06-22莫高窟k003
左方が莫高窟南側で公開エリアです

s-シルクロード旅行2015-06-22莫高窟車窓006
莫高窟北区域、洞窟が剥き出しです
s-シルクロード旅行2015-06-22莫高窟で006
洞窟の前に回廊が設置、殆どの窟が非公開
s-シルクロード旅行2015-06-22莫高窟で011
九層に庇がつけられています
s-シルクロード旅行2015-06-22莫高窟で036
所々に残る壁画の断簡が鮮やかです
むき出しの壁に描かれている壁画は唐代のままでしょうか、こちらは写真撮影OKでした。
167E-5  西安の兵馬俑博物館 あまりにも有名な兵馬俑博物館内はラッシュアワーの地下鉄の駅のようです。以下写真のとおり、体育館の中に見学者用の回廊があります。欧米語・中国語・日本語・韓国語などが飛び交っています。
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館外005
雨でも観光客の列は続きます
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館032
おなじみの体育館のような広大な発掘現場です
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館128
深さは15mくらいあるでしょうか
高級軍吏は将校クラスでしょうか?
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館198
中級軍吏とは下士官クラス?
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館186
跪射
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館226
立射俑
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館220
鞍馬騎兵
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館311
s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館346
1号銅馬車の後姿も精巧です
本当にリアルに造られています。なお、写真の1号銅馬車はレプリカですね。
でも、もっと面白かったのは土産物店内にあった兵馬俑を造る工程模型でした。s-シルクロード旅行2015-06-23兵馬俑坑博物館083
以下、おまけの観光写真です。
s-シルクロード旅行2015-06-23三蔵法師001
玄奘三蔵と後方は大雁塔
s-シルクロード旅行2015-06-24西安シルクロード群像007
西安市内にはシルクロードの隊商オブジェが多いです
s-シルクロード旅行2015-06-22西安夕暮010
1384年に建てられた西安鐘楼はライトアップが綺麗です
(参考資料は海天出版社敦煌研究院王書慶・蘭州大学杜闘城編著「敦煌とシルクロード」に準拠)

2015/12/19

166E シルクロード紀行(石仏は何処?)

成田から上海へ飛び、乗り継ぎで新疆自治区のトルファンへ向かいます。団体旅行ですが、結構一人旅が多いツアーです。男女共旅なれたベテランばかりと思います。なんと最高齢はご主人が84歳のご夫婦でした。
166E-1.ウルムチからトルファンへ
上海から約5時間のフライトです。人口190万人民族の十字路と呼ばれる西域の中心都市、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに到着です。
s-シルクロード旅行2015-06-19ウルムチ紅山公園020 市内の紅山公園から市街地を見下ろせます。 林則徐の像が建っています。
林則徐アヘン禁止を謳って左遷された新疆で善政をひいて慕われたとは知りませんでした。 
s-シルクロード旅行2015-06-19ウルムチ国際バザール003観光コース定番の国際バザールですが、民族紛争を警戒して警備が厳重にされているようです。次は「楼蘭美女」の眠る新疆ウイグル自治区博物館です。実は展示されているミイラはいくつもあって、性別・遺存状況もさまざまです。
s-シルクロード旅行2015-06-19新疆ウイグル自治区博物館内232s-シルクロード旅行2015-06-19新疆ウイグル自治区博物館内233上のほうの写真が1980年に発見され日本まで出張してこられた「楼蘭美女」ですが、学芸員の話では髪の毛にシラミがついていたりして上流階級の人ではなかったろうとのお話でした。 年齢40歳位・身長152cm・体重10.7kg・血液O型で肺胞に黒い細粒(砂粒)があったので砂漠で生活していた民だろうとのこと。
出土遺物が陳列されていますが「日本語解説」が無いものも多く、筆者にはよく分りません。
s-シルクロード旅行2015-06-19新疆ウイグル自治区博物館内189ウルムチからトルファンバスで約3時間、砂漠の快適なハイウェイを進みます。風力発電の風車が何キロにも亘って続くさまは壮観です。中国は広いしる車窓からみる風力発電景色005シルクロードの天山南路・天山北路の分岐点がトルファンです。人口27万人のトルファン盆地中央のシルクロード要衝です。
s-シルクロード旅行2015-06-19トルファン市内017市街地の商店です。屋根の上に注目です。緑の看板の上にあるのはベッドと寝具です。火州と呼ばれるほど暑いトルファンは、6月の日中平均気温30℃・年間降水量20~30ミリの乾燥気候で蚊や虫もいなくて屋外で風に吹かれて眠れます。その奥に見える格子模様の建物は、葡萄の乾燥小屋です。
下の写真はトルファンホテル前のアーケードです。葡萄棚で覆われています。冬になると全ての葡萄の幹を側溝に埋めて冬越します。春に取り出してまた棚つくりだそうです。訪問時にも葡萄がたわわに実っていました。
s-シルクロード旅行2015-06-20トルファンホテル近隣の朝008
166E-2 火焔山ふもとの見所
①ベゼクリク千仏洞
西遊記で「玄奘三蔵」のインドへの旅をさえぎる燃え盛る火焔山。見たとおりの赤茶けた小山が横たわっています。このふもとに「装飾された家」ベゼクリク千仏洞があります。
s-シルクロード旅行2015-06-20ベゼクリク千仏洞023ガイドブックの写真そのものですが、カメラアングルとしてはここで撮るしかありません。1Kmに亘り83の石窟がありますが、殆どの壁画遺跡は外国の探検隊の持ち出しや異教徒による破壊で残っていません。僅かに約40の彩色壁画残っています。s-ベゼクリク千仏洞壁画題材は仏転物語・本生譚・夫婦の縁の物語などで、他に千仏像と立て仏の供養像・各民族の供養人が描かれています。写真撮影は禁止です。残念。
s-シルクロード旅行2015-06-20ベゼクリク千仏洞005ベゼクリク千仏洞は、赤いテント売店の先を下りた崖沿いに上記回廊が通じています。正面の山は火焔山の一角です。写真の左には山上台地へ上る桟道が見えています。お金を出して上っている人が見えるかもしれません。尚、崖下はカレーズといわれる地下水道を通して緑化されています。赤テントの売店で砂に埋めた卵を1個3元(60円)で売っていました。
②交河故城
シルクロードの構成遺産として世界遺産登録された版築で築かれた都市遺跡。ヤルナイゼ川の中津にあり東西300m南北1650mの広さで幅2mほどの石畳の上を巡ります。遺跡内はほとんどこのような景観でチョット退屈。
s-シルクロード旅行2015-06-20交河故城053
高昌故城
高尚国の王都。トルファンの東南40kmにあって、高さ11mの壁が周囲5Kmに亘り四方を囲みます。建設当時は12の門があり、市場・寺院・住民区などがあって外城・内城・宮城に分かれていたとか。住民3万人僧侶3千人の住まいでした。こちらは電動カートで城内を周回する事ができて楽チンです。
s-シルクロード旅行2015-06-20トルファンから高昌故城022s-シルクロード旅行2015-06-20トルファンから高昌故城059
上の写真で、城壁を支える壁は後からの補修です。紀元7世紀前半、唐三蔵玄奘がインドへの途次、時の高昌王に乞われ3ヶ月滞在した場所ですが、帰国の時に訪れた時にはもう滅んでいたという悲しい歴史のあるお城です。
④カレーズ(地下水道)博物館
カレースは中国三大工事の一つに数えられ、2000年の歴史を持つ地下水道(掘抜き井戸)です。天山山脈のふもとから水を集め市域に供給しています。おかげでこの地方は特産品、葡萄・スイカ・杏など果物の宝庫です。「新疆全体では1784本、5272Kmの暗渠、トルファン地方には404本のカレーズがある」と博物館の解説に載っています。
s-シルクロード旅行2015-06-20カレーズ資料館内020洞内トンネルには、水路が見える歩道や綺麗な水を直接触れる場所もあります。
166E-3 敦煌石窟へ
トルファンから敦厚へは夜行列車で参ります。乗車するトルファン駅へは市街から約2時間の道程。荒涼とした郊外地に突如車止めに囲まれたウルムチ駅が現れます。ウイグル族のテロを警戒して中国政府は厳戒態勢を敷いていました。深夜の乗車であることもあって駅構内は閑散としています。改札口の傍に、やる気の無い店員のいる売店がありました。
s-シルクロード旅行2015-06-21トルファン駅構内002
寝台列車はほぼ日本と同じで、ニ段ベッドが向き合う1室4人のコンパートメントでした。明朝は、敦煌郊外の景色が見えるかなと期待が高まります。以下次号。

2015/06/09

165E  ベトナムの石造物

ベトナムの中部へ観光旅行へいって来ました。訪問先のリストに3つの世界文化遺産が入っておりそのひとつがミーソン遺跡です。予備知識無しの訪問ですが、石つながりの備忘録を遺しておきましょう。ベトナムは南北1600kmの細長い国ですがその中央あたりの高原部にこの遺跡があります。
165E-1 ミーソン聖域(世界文化遺産)
s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡086
ミーゾン聖域は、ベトナム南部を支配したチャンパ王国の7世紀から13世紀頃のヒンドゥ教祭祀遺跡です。したがって人が居住したわけでなく、まつりごとをする際だけのための施設(赤茶けたレンガの遺構)が遺されています。19世紀にフランス人が密林の中から発見しましたが、ベトナム戦争でアメリカ軍の空爆にさらされた跡が痛々しく残っています。
詳しい説明は、ミーソン聖跡 ・ チャンパ王国としてWikipediaでご覧ください。
s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡077
赤茶けたレンガを積んだ遺構ですがその築造技術はすばらしく、レンガの接着剤は不明ながらレンガ壁面は今もしっかりと残っています。かえって現代の修復でセメント接着されたレンガはカビ痕も黒々と痛み、古代の無傷レンガと比較して古代文明の高さがわかります。
s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡053k
遺構内にはわずかなレリーフや石造遺物の断片が展示されるばかりです。
                           s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡036s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡068
                           s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡067s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡044
礼拝遺構には窓も柱もなく、只レンガを積み上げて造っています。
                           s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡029s-ベトナム旅行2015-04-034日目ミーソン遺跡075
これほどの文明をもったチャンパ王国ですが、周囲の隣国の侵攻侵略に対し争いが絶えなかったようです。下の写真は、カンボジア・アンコールトム遺跡壁面に残された11世紀頃のチャンパ王国軍(チャム人)です。左面船上の兜をかぶったのチャンパ軍で、右面の耳長坊主頭がアンコール軍(クメール人)です。トンレ・サップ湖での戦いで湖面に落ちた兵士がワニに食べられています。当時の日常生活が絵巻物のように展開されるアンコール遺跡はめちゃ面白くて必見ですね。
s-カンボジア2014-08-13アンコールトム遺跡022
165E-2  フエ市街・グエン朝王宮(世界文化遺産)
ベトナムの故都、日本で言えば京都にあたる街ですね。チャンパ王国創建時の首都はフエ近辺に比定され、近世ベトナムの阮朝(グエンちょう)の首都がフエです。その王宮がある落ち着いた街まさに古都。
フエの概要はいつものとおりWikipediaの「フエ」でご覧ください。要領よくまとめられていて、2番煎じの文章は不要と思い見聞した写真だけを載せておきます。
s-ベトナム旅行2015-03-311日目フエ夕食レストラン040
上の写真は旧市街のレストラン(元は貴族の館)の前栽にある小さな池の写真です。何が珍しいのかというと、2匹のかえるが写っています。鳴き声が「ウワン」、牛ガエルならぬ犬カエルです。これ、本当。
s-ベトナム旅行2015-04-01ホテルから002
夕陽の下に見える赤い旗が国旗掲揚台、周りの緑の一帯が王宮です。フォン川を挟んで向こうが旧市街で、こちらが新市街です。
s-フラッグタワーk
王宮への途中に大きなフラッグタワー、「天人地」の三段構成でベトナム国旗が翻っています。王宮の入り口が午門、中央の黄色屋根は皇帝の入り口建物、両脇緑の瓦は文官武官を象徴します。
s-グエン朝午門k
中国の影響で紫禁城の模して造られ、皇帝の黄色屋根が大和殿になっています。文官武官はその前庭で位官通りの所で立礼となります。
s-ベトナム旅行2015-04-012日目グェン朝王宮006
s-ベトナム旅行2015-04-012日目グェン朝王宮005
王宮には皇族の屋敷や菩提寺があります。皇族のみが楽しんだ劇場・閲是堂が復元され宮廷舞踊を見学することも出来ます。手灯かりのロウソクの火が紙に燃え移り大慌てで袖下に下がる椿事もありましたが。
s-ベトナム旅行2015-04-012日目グェン朝王宮舞踊鑑賞042
165E-3 トゥドック帝廟(嗣徳帝(しとくてい、トゥドゥックてい、Tự Ðức)
第四代皇帝トゥドック帝は釣り好きで、帝廟を生前には別荘のようにして使ったそうです。大きな蓮池・釣り殿があって帝廟とは思えません。
s-ベトナム旅行2015-04-01カイディン帝廟006
s-ベトナム旅行2015-04-01カイディン帝廟036
s-ベトナム旅行2015-04-01カイディン帝廟019
皇帝のお墓は質素ですね。帝廟内の前庭には、文官・武官・象・馬が塑像で作られ皇帝を見守っています。
165E-4 カイディン帝廟(啓定帝(けいていてい、カイディンてい、vi:Khải Ðịnh)
第十二代啓成皇帝ですが、フランス統治下の傀儡皇帝とみられていました。帝廟も中国様式を踏まえつつも西洋風のアレンジで1920年から死後6年まで12年かかって造られました。ガイドさんによると化粧好きな「ちょっと女っぽい皇帝」とか。
s-ベトナム旅行2015-04-01トウドゥック帝廟002
s-ベトナム旅行2015-04-01トウドゥック帝廟034
s-ベトナム旅行2015-04-01トウドゥック帝廟011
霊廟内は絢爛豪華の言葉通りの造作です。前庭には石人の文官武官、霊廟内は天井に龍、壁面装飾は陶片やガラス片(日本製ビール瓶など)で綺羅やかなモザイクで造営されています。
s-ベトナム旅行2015-04-01トウドゥック帝廟038
165E-5 ティエンムー寺(天女の寺)
七層八角形のトゥニャン塔で有名な仏教寺院です。この塔は高さ21mの風水塔だそうですが、漢字で「般若経文極楽・・」などと墨書されて親しみやすいですね。このお寺では今も多くの僧が修業生活しています。
s-ベトナム旅行2015-04-01ティンムー寺にて011
このお寺は、サイゴンのアメリカ大使館前で焼身自殺したティック・クアン・ドック僧
の乗用車オースティンが展示されて有名です。けれど私には庭の大盆栽のような植栽とか、山門に祀られる仁王代わりの三国志に出てくる武将のほうが気になりますね。
s-ベトナム旅行2015-04-01ティンムー寺にて017
165E-6 ホイアンの日本橋
ホイアンは世界遺産で有名なチャンパ王国時代の港町。朱印船貿易で日本人が16世紀初頭まで数多く来航し、日本人街もあった。今に残るのは有名な日本橋(来遠橋)が観光スポットになっています。屋根付橋の両側に犬と猿の石造遺物が残っていますが「両岸に置いて何で?」犬猿の仲なのかな。
                          s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策102s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策104
s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策096
古来の町並みは観光パンフレットのとおりですが、街中にはヒンドゥ教に由来する象頭人身のガネーシャ(歓喜天)やインド神話のガルーダ(迦楼羅天)など異国情緒たっぷりの仏教遺物がs-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策079
s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策078
右手に蛇、


165E-7 ベトナム番外写真集

フエの朝市、ホイアンの屋内市場です。カオスのように見えますが、活気があふれています。その次にホイアンの町並みとウナギの寝床のような居宅内写真です。
ランタン夜市は暑い夜に温かさが感じられます。
宮廷料理のレストランはそれらしく置物だらけです。ニンジンで不死鳥の首、パイナップルの皮が胴体です。
s-ベトナム旅行2015-04-023日目フエ朝市場002s-ベトナム旅行2015-04-034日目ホイアン木工村へ019                             s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策043s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン旧市街散策013s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン夜景023s-ベトナム旅行2015-04-012日目昼食レストラン宮庭005s-ベトナム旅行2015-03-311日目フエ夕食レストラン012s-ベトナム旅行2015-04-01ティンムー寺途中002s-ベトナム旅行2015-04-01ティンムー寺にて001s-ベトナム旅行2015-04-023日目ホイアン移動途中001
花壇の花のように見える写真は、線香売りがベトナム線香でディスプレイしています。下のお札は供物として供える精巧なオモチャです。観光客がだまされるので要注意とか。
一番下は、車窓からみたベトナムのお墓です。沖縄のお墓の雰囲気と似ていますね。